研究最前線

【研究最前線】荒井 堅太(東海大学理学部化学科講師)先生

投稿日2023/11/30
(この記事は東海大学学園校友会『TOKAI 211号』から転載しています)

あらい けんた
東海大学大学院総合理工学研究科博士後期課程早期修了。博士
(理学)。2012年東海大学理学部化学科 日本学術振興会特別
研究員PD、2013年イギリス カーディフ大学博士研究員、2014
年東海大学理学部化学科助教を経て現職。タンパク質の構造・
物性・フォールディング研究および有機セレン分子の合成研究
を基軸としつつ、薬剤の新しい構造モチーフの探索などを進め
ている。

酵素の働きを模倣する人工分子を作り出し、それによって消化・吸収・代謝などの生命現象をコントロールすることを目指している荒井堅太講師の研究グループ。論述雑誌でも大きく取り上げられた最新の研究成果や、さらなる高みを目指す上での課題、化学の研究に携わる醍醐味などについてお聞きしました。

―――荒井先生の研究室では、どのような研究を行っているのでしょうか。

 テーマは多岐にわたりますが、主軸にあるのは「酵素」です。酵素とは、生物の細胞内で産生されるタンパク質で、生命活動に不可欠な消化・吸収・代謝を促進するという重要な役割を担っていますが、その働きは加齢に伴い徐々に減退していきます。酵素の働きが悪くなると、アルツハイマー病や糖尿病などさまざまな疾患につながるため、人工の酵素を点滴で補充する「酵素補充療法」が行われることもありますが、体内で働いている酵素は数千種類にも上り、そのすべてを人工的に作り出せるわけではありません。私たちは、いまだ解明されていない酵素の仕組みや特性を調べるとともに、有機合成の技術を駆使して人工酵素、すなわち酵素を模倣する分子を作り出す研究に取り組んでいます。

――― 先日、荒井先生と大学院生が共著で発表した研究論文が、論述雑誌「Chemistry -A EuropeanJournal」のHot Paper(※)に選ばれました。こちらの研究について解説をお願いします。

 当研究室では、もともとセレンという元素を含む「有機セレン化合物」の合成技術を有していました。それを何かに応用できないか検討していたところ、ある種の有機セレン化合物と「ヨードチロニン脱ヨウ素酵素(ID)」の構造が酷似していることに気づきました。ID は甲状腺ホルモンの機能を調整し、新陳代謝を抑制あるいは促進する酵素の一つですが、そのメカニズムにはまだ多くの謎が残されています。そこで私たちは、有機セレン化合物をベースとしてIDの機能を模倣させる分子を開発し、IDの反応メカニズムを探ろうと考えました。
 実は、ID のように脱ヨウ素の機能を持つ酵素は非常に複雑な立体構造を持っていることから、モデル化が難しい酵素の一つとされています。この難題に挑んだ先行研究もいくつかあるものの、本物のIDがペプチドというアミノ酸の鎖でできているのに対して、報告されている人工IDは天然とは程遠いゴテゴテの有機化合物で、強引に脱ヨウ素機能を持たせたものばかりでした。その点、当研究室は有機セレン化合物の研究過程において、ペプチドの立体構造を制御する技術を確立していたため、天然に近い人工ID の開発に成功し、実際に細胞内で起きているであろう反応を再現することができたのです。

―――今後の目標と、それを達成する上での課題を教えてください。

 最終的な目標は、開発した合成物を使って生命現象をコントロールすることです。ID に関する知見も、ゆくゆくはバセドウ病など甲状腺ホルモンが関与する疾患の予防や治療につながればと期待しています。
 しかしながら天然の酵素は信じがたいほど高性能で、人工物で模倣した場合の反応速度が1としたら、本物は1000や1万の力を発揮します。私たちはこの圧倒的な性能の差を埋めるべく、分子構造への理解を深めて本物に近づける努力を続けているわけですが、このアプローチではおそらく限界があり、本物に匹敵する人工酵素を作るためには、さらなる上位概念を獲得する必要がありそうです。それが一体何なのかはまだわかりませんが、もしかしたら細胞内液の濃度が関わっているのかもしれません。そうしたさまざまな可能性を考えながら、新たなアプローチの仕方を探っているところです。

―――この研究の醍醐味を教えてください。

 人工の酵素で化学反応を促すことができれば、疾患の治療や薬剤のデザインはもちろん、人工的に生物を進化させられる可能性すらあります。数世紀前まで神
の領域だった生命の仕組みが、化学によって徐々に解き明かされ、コントロールできるようになっていく。自分がその歴史に立ち会っていることを肌で感じられるのは、この分野ならではの面白さだと思います。
 また、化学というと小難しいイメージがあるかもしれませんが、実際の化学はとてもクリエイティブな世界です。ペーパーテストとは違い、自由な発想でチャレンジして成果を出せるという点も、学生にとっては大きな魅力といえるでしょう。

※ Hot Paper:注目度が高く、専門家や研究者の間で引用されたり、議論の基盤となったりする論文のこと。

荒井堅太研究室
https://www.tokai-arai-lab.com/

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